飲食店失敗の研究 第22回「入居していたビルが建て替えで老舗が暗転」
- 2009年7月27日 10:10
☆中央官庁や有名企業の本社がひしめく都心の一角に、日本料理のA店が開業したのは、およそ50年前。この国が高度経済成長の真っ只中だったころである。
日本は、世界で最も成功した社会主義国家だといわれることがある。社会主義かどうかはともかく、官庁による中央集権的な行政運営がどのような分野であれ、どのような地域であれ、隅々までいきわたっていたことは確かである。
そうした機能の元締めである中央官庁は、各種の政策を企画立案し、また法制化した後の実施段階において、役所の外部の人材を巧みに活用してきた。
最もフォーマルな形態は「審議会」というレッテルで、総理大臣の諮問機関として仰々しく発足し、テレビにも報道される。
しかし、実はこのような審議会形式は、ことさら「審議会」などとレッテル化されなくとも、実に至る所で組織され開催されてきた。
役所にとっては、こうした検討委員会の運営を民間の調査機関にゆだねることで、不足する人手を補うことも可能だったし、予算を獲得する名目にもなった。
検討委員会では学識経験者と呼ばれる大学教授などが加わって、専門的見地から政策の妥当性などを議論して、より良い物に作り上げることとされてきた。
その過程で、弁当が出たり、発足式後に懇親会があったり、要するにいろいろな名目で飲み食いの需要があったわけだ。
このようにして、霞ヶ関から赤坂・麹町周辺にかけては、○○会館と名のつく会議室を多数擁した建物が多く立地し、仕出し弁当やパーティーなどの需要にこたえてきた。
このような政策立案過程は、高度成長期から安定成長期を経てつい最近の「自民党政治をぶっ壊す」と叫ばれた「構造改革」のころまで続いてきた。
A店は、まさにこうした需要に乗って安定的に売上を確保してきた。
京都の老舗料亭のようなびっくりする日本料理というわけではないが、それなりの見栄えのする会席料理を出している。値段も、役所の予算に合うように、料理のフルコースで5千円程度に抑えられているから、使いやすい店だ。
検討委員会のパーティー以外にも、座敷や個室を多く備えていたので、地方からの陳情客を軽くもてなしたり、学識経験者の先生方と根回しのために会食するとか、現実的な使い方がいかようにもできる便利な料理屋だ。
転機は再開発だった。
戦後60年が経過し、官庁街の建物も段々と古くなっていた。
A店の入居していたビルも、再開発で高層ビルに立替となり、A店は竣工後の近代的な高層ビルに再度入居した。
経営者はこの道50年のベテラン経営者Bさん。派手好きな性格ではなかったのだが、長年虚飾を排して地味な店舗で操業してきたところへ、近代的高層ビルへの入居という思いがけない話が到来して、テンションが上がってしまったのか?
会席料理のコース価格は、改装前に比べて1人前で数千円アップしていた。
ここへ、小泉構造改革が重なった。官庁の需要が急減したのだ。
さらにそこへ、リーマンショックが追い討ちをかけた。夜の会食がぱったりやんだ。これまでも、官公庁需要のほかにも、サラリーマンのポケットマネーでの歓送迎会や会食などの需要が結構あったのだが、新装開店で客単価を向上させていたのが仇となった。
かくて、入れ物が新しくなってからほどなくして閉店に追い込まれた。ここでも高度成長の残滓が、また1つ消えていった。
★この連載は、すべて実話を基に構成しています。(杭杉能美子)
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